群馬県史、資料編12による江戸時代 天保頃 諸行高名録 丸一屋 友右ェ門
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創業はおよそ江戸時代の享保年間で、旅籠屋丸一は猿ヶ京温泉の歴史深い宿のひとつという事になります。当時の猿ヶ京温泉は、越後から米や塩を持って来る人々と、江戸からそれらを買い付けに来る人々との合流地点であった為、本陣を置くほど往来の激しい場所でした。丸一屋は宿としても賑わっていた一方、七代目で、諸国を巡らし馬喰で財を成した友七、八代目で蘭方医だった彦司など他の道を極めた人も傑出しました。

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楢-万葉亭2階
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特に友七は書画に造詣が深く、画学生や絵師などを逗留歓待して描かせた彼らの作品はもとより、高名な書画も広く収集しました。それらが時を超えて現在、旅籠屋丸一の館内随所に飾られているわけです。

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歴史イメージ
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「蔵の湯HAYASHI」の前身である蔵も七代目の建てたもので、玄関ホールの天井の横柱には大きく「友七」と自筆の力強い筆文字が 残されています。また、明治維新にかけて幕末で活躍した書画が点在することから、 友七も新しい時代を望んだ人物の一人だったかもしれません。

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その後、本格的な街道の宿としての歴史は閉じられていましたが、十三代目が再び開業にこぎつけ、先人達の想いに耳を傾けながら少しずつ形を変えて現在に至っております。 古きよき時代の作品や調度品の中で、 少しでも安らぎを感じて頂く事が十五代目の宿主の願いです。

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江戸時代の享保の頃、三国街道沿いに建てられた当時は丸一屋と呼ばれておりました。 創業者は「友右ェ門」で「群馬県史、資料編12」の中の「諸業高名録」に記されております。